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こんにゃくの刺身も少し梅の花2011.10.18 Tuesday
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俳聖 松尾芭蕉の句より。
儚げなこんにゃくと梅が花開く冬の寒さを、織りまぜて
知人への弔意を詠んだメロウな句ですけど。
芭蕉はこんにゃくが好物だったようで、自筆の月見の献立
「十五夜の献立表」にもこんにゃくの煮物が登場しています。
料理の腕自慢としても知られている芭蕉のことですから、
自らこんにゃく料理を知人たちに振舞っていたことでしょう。
刺身こんにゃく 酢味噌添え
巷では芭蕉は忍者だったというウワサが囁かれていますが、
史実に残る要素から不肖ティル・ナ・ノーグがジャッジメントするなら、
“限りなく黒に近い灰色”的にヤツはNINJA だったとしか言う他はありません。
1.『奥の細道』の旅程は六百里(2400キロ)。
2.しかも一日に谷越山超え付きで50〜60キロ移動している時もある。
3.この時芭蕉は45歳。その時の平均寿命が40前後だったから、
現代で言えば100歳にも関わらずロッククライミングを愛好するスーパー爺さん!
4.ヤングだった頃、服部半蔵の親戚の舎弟をしていた。
※ハットリくんの祖先との関係は残念ながら未確認。
5.忍者博物館で有名な伊賀出身。
これだけ証拠を突きつけられれば、松尾容疑者もシラはキレませんね。
忍者はサイドにメッシュ入れて凧に乗ったり、
七三分けにして変な赤いマスクもすることがあるので、
メタボだと何かとキツい職業のようです。
芭蕉もダイエットのために食物繊維のたっぷり入ったこんにゃくを、
せっせと食べていたんですよ。
現代に生きる我々も芭蕉を見習って、グルコマンナンを摂取しつつ忍の道を歩みましょう。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
にんともかんともにんにん♪
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